夫婦共依存カウンセリング

夫婦共依存とは、夫婦の一方に良くない状況や問題(例:依存症、DV、モラハラ、働かないなど)があるにも関わらず、もう一方がそれを安易に受け入れたり、あるいは一時的に責めたとしても、結局は支え続けてしまったりする関係性のことです。
その結果、問題のある側に「甘え」を生じさせ、通常では考えられないような不健全な状態が当たり前(定着)となり、問題がさらに深刻化してしまう…そんな悪循環に陥ってしまいます。
夫婦共依存とは?:支え合いと依存の違い
恋人としてお付き合いをし、結婚をして夫婦となる。
本来であれば、お互いを一人の人間として尊重し、協力し合いながら生活していくことで、円満な結婚生活を送ることができるはずです。
しかし、「夫婦共依存」の関係では、相手を尊重し、対等な立場で生活するどころか、一方がもう一方に過剰に寄りかかり、もう一方がそれを懸命に支え続ける、という構図になっています。
そして、たとえ幸福感はほとんど感じられないとしても、その不健全な関係にしがみつき、なかなか離れることができない、という状況に陥っているのです。
「夫婦共依存」は、読んで字のごとく、夫と妻が「共に」「依存し合っている」ことで成り立っている関係と言えます。

- 尽くすこと(相手の世話を焼くこと、問題を肩代わりすること)でしか、自分の存在価値や生きがいを感じられない人
- 尽くされること(相手に頼り、甘え、責任を負わせること)でしか、満足感を得られない人
この二人の関係は、一見すると、お互いの求めること(ニーズ)が一致している(「持ちつ持たれつ」のように見える)ため、「特に問題はないのではないか?」と思えるかもしれません。しかし、本当にそうでしょうか?
尽くされることで満足を得る人(多くの場合、「要求の強い人」)は、
「妻とは、こうあるべきだ」「夫だったら、これくらい分かってくれるはずだ」といった、固定観念や一方的な甘えを、相手に押し付けがちです。
自己中心的な発言や行動をとり、相手の気持ちを顧みません。
そして、相手から「尽くされている」と判断できれば、「もっと、もっと」と、わがままな要求は際限なくエスカレートしていく傾向があります。
一方、尽くすことで生きがいを感じている人(多くの場合、「過剰に犠牲を払う人」)は、
相手の要求に応えようとして、「もっと尽くさなければ」「私が、この人を変えてみせるんだ」と、必死に努力をします。
しかし、その努力は、かえって相手のわがままや依存心を助長させる結果となり、常に自分に無理な負担を掛け続けることになります。

その結果、尽くす側(「犠牲を払う人」)は、心の中に大きなストレスを溜め込み、うつ状態、無気力、集中力の欠如、過食、パニック発作、偏頭痛など、様々な心身の不調につながります。
しかし本人としてはその「原因」を理解できない場合が多く、「どうして?」ということになります。
それは正に、骨折しているのに気づかず歩いているようなものです。自分をすり減らしている状態にあっても、それが「当たり前」になっていると、なかなか自分では気づきにくいこともあります。
だからこそ、安心して状況を整理できる対話の場が必要なのです。
尽くす側・尽くされる側の利害が一致しているように見えても、そのままにしておくことのできない問題が夫婦間にはあると言えるでしょう。
夫婦共依存の2つのパターン:あなたはどちら?
夫婦共依存には、大きく分けて2つのパターンが見られます。
パターンA
無自覚な共依存

夫は、わがままかもしれないけれど、きっと辛い思いもしているはずだ。だから、私が何とかしてあげたい

彼の苦しみを本当に理解できるのは、私だけなんだ。だから、一緒に苦しみを分かち合いたい
パターンB
自覚がありながらも抜け出せない共依存

本当は、夫とは別れた方が良いのかもしれない…。でも、優しいところもあるし、見捨てることはできない…

彼の苦しみは、正直、甘えだとは思う。だけど、私が理解してあげないと、彼は納得しないし、もっとひどくなるかもしれないから…
特に、パターンBの場合、「本当はこの関係は良くない」と、心のどこかで気づいているにも関わらず、関係を断つことなく、いいところをこじつけたり、仕方なく受け入れてしまう傾向にあります。
結局のところ、パターンAもパターンBも、やっていることは何ら変わることのない完全な「共依存」「共に依存している状態」が成り立っています。もともと一人の人間であったことを忘れてしまったかのごとく相手に頼り、頼られ支えます。世話をする側とされる側が固定されているため、お互いを尊重し、地に足つけて生活していくことができません。
夫婦関係そのものに依存してしまう人は、自分自身の考えや気持ちよりも、相手の問題ばかりに気をとられ、問題から目を背けます。
尽くす側、世話をする側への世間からの印象は「優しい人」「よく頑張っている人」「気が利く人」と言われることもあるため、周囲の人たちからは夫婦共依存であることに気づかれにくいものです。
しかし、いくら頑張って尽くしたとしても報われることはなく、そしてそれに生きづらさを感じていれば「共依存」という「支配と服従」の世界は色濃くなっていきます。
共依存者の特徴:こんなサインはありませんか?
あなたや、あなたのパートナー(夫・妻)に、以下のような特徴は見られませんか?
共依存者の特徴(こんなサインはありませんか?)
- 夫婦の間での揉め事や喧嘩が、非常に多い
- 夫婦のどちらか一方(あるいは双方)に、暴力(DV)や暴言(モラハラ)などがある
- パートナーが、よくトラブルを起こして、あなたを困らせる
- 夫(妻)が、あなたに対して、過剰な同調や共感を求めてくる傾向が強い
- パートナーが、「自分のことをどう思っているのか」をいつも気にしており、確認したがる
- 夫婦のどちらか一方(あるいは双方)が、相手からの愛情に対して、常に不安を感じていることが多い
- パートナーに、親しい友人がほとんどいないようで、仕事以外は、いつもあなたのそばにいたがる
- 夫(妻)は、あなたに様々な「約束」をさせたがり、その約束が守られるかどうかに対して、非常にこだわる
- 夫(妻)は、あなたの友人関係や、実家との関係のいずれか(あるいは両方)を、快く思っていない
- ご近所さんや友人などから、「自分たち夫婦がどう見られているか」という世間的な評価を、過剰に気にする
- 夫(妻)は、何かと「ああしろ、こうしろ」と要求や要望が多く、「いつ、どこで、誰と、何をするのか」などを細かく把握し、管理・コントロールをしたがる
いかがでしょうか?
もし、上記のようなことが多く当てはまったとしても、ご夫婦がお互いに仲睦まじく、尊重し合い、あなたの心も体も、すこぶる健康で、幸せを感じている状態であれば、特に問題はないのかもしれません。
しかし、もしあなたが、その関係性の中で、心身に何かしらの不調(例:気分の落ち込み、不安感、不眠、体調不良など)を感じているようであれば、それは大いに問題がある、と言えるでしょう。
夫婦は、元々はそれぞれが一人の独立した人間です。一人ひとりが、精神的にも経済的にも自立する中で、二人が互いに惹かれ合い、お互いを尊重し合いながら、人生を共に歩んでいく。それが、健全なパートナーシップの形ではないでしょうか。
そうではなく上記のことが日常茶飯事であれば、いつか何かしらの形で不具合が生じてくるでしょう。
これは相手側ばかりに問題がある訳でなく、実は問題のある相手を支えようとしているあなたにも大きな問題が隠れているのです。
支える側の心理:なぜ「尽くすこと」をやめられないのか?
共依存の関係において、「支える側」「尽くす側」になってしまう人には、どのような特徴が見られるのでしょうか?
支える側の心理(いくつ当てはまりますか?)
- 相手が喜んでくれると、まるで自分のことのように嬉しい
- 相手が何を考えているかつい先回りして考えてしまう
- 自分の意思を余り持たず、相手の感情や言動に左右される
- 「ああだ、こうだ」と指示されることにあまり抵抗を感じない
- 自分のことは後回し、相手が求める必要な援助や行動を優先する
- 相手に尽くすことが何よりも私の愛の証であり生き甲斐でもある
- 相手の喜ぶことなら、多少我慢してでもできる限りのことをしてあげたい
- 自立の自信が無く、相手の経済力に頼らなければ生きていけない気がする
- 自分で判断して物事を決めることは難しいので出来れば相手に決めてほしい
- 「コレはこうだろ、アレはああだろ」と言われ無批判に納得し従ってしまう
- 強い語気で叱られたり非難否定されても、私のことを思っているからだと考えてしまう
- 相手の意に沿わないと嫌われたり別れを切り出されてしまうのでは、と不安や心配になる
…いかがでしょうか?
もし、あなたにこれらの特徴が多く当てはまるなら、あなたは共依存の「支える側」の役割を担ってしまっている可能性が高いかもしれません。
相手のためになりたい、相手を何とかして救いたい、一番の理解者として相手の気持ちを分かってあげたい、と精一杯に献身的に尽くします。しかし何故、気持ちにゆとりが無くなり心身共にスリ減り、出会った頃のように、結婚生活が始まった時のように、思いやりのある生活が何処かに消え去り、或いは失くなってしまったのでしょうか。
それは現在ある夫婦関係の在り方に問題があるからではないでしょうか。
共依存を支える心理:自己評価の低さと見捨てられ不安
パートナーに問題は確かに感じるものの「私が我慢をすれば」「私だけがこの人を救えるんだ」「この人の一番の理解者は私しかいない」という考えを持っているとすれば、それは健全な夫婦関係・恋人関係とは程遠く非常に危険な状態と言えます。
私が我慢をすれば
私だけがこの人を救えるんだ
この人の一番の理解者は私しかいない
私が我慢をすれば
私だけがこの人を救えるんだ
この人の一番の理解者は私しかいない
アルコール依存症やDVの夫に苦しんでいるにも関わらず、その夫を支え、いつかまた以前のように優しいあの人に戻ってくれるに違いないとひたすら信じて尽くす妻や夫や恋人達がその危険な状態に該当します。例えば共依存に陥っている妻は、自己評価がとても低いため、相手の世話を焼くことにより自分の価値を見出そうとします。
たとえその相手があなたに害を与えるような人だとしても、「私を思ってくれているから」「今度こそ昔の優しい彼に戻ってくれるはず」と信じ、放っておくことが出来ず結果支えてしまいます。夫婦であれば、一度は愛した人、生涯人生を共にする人として、世間的にダメ夫でもワガママ放題の妻でも見捨てる訳にはいきません。
その結果、夫の暴力や横暴、妻からの現実的ではない要望にも耐えて、懸命に支えてしまうことになります。この場合、一見相手に依存しているように見えますが、迷惑を掛けることで相手をコントロールしたいという無意識による相手の甘え、つまり依存があり、双方の利害が一致しているのです。
問題を起こす側は、共依存が益々強くなることで人生を崩壊させてしまう可能性もありますし、ひたすら支える側の共依存者は、苦しく辛い日々から抜け出せなくなってしまうことでしょう。
「構ってもらいたい」と「構わずにはいられない」の関係により、双方に「あなたがいなければ生きていけない」が根底にあり、そんな泥沼化した関係性が出来上がってしまいます。
DV・モラハラ夫に、ひたすら耐え続ける妻
ケース1:夫に養われ、顔色をうかがう日々の専業主婦
Cさんは、結婚後、専業主婦として家庭に入りました。
「毎日の生活は、夫が会社で稼いできてくれるおかげだ」という意識が強く、「私は夫に食べさせてもらっている」「扶養してもらっている存在なのだ」といった、夫に対する従属的な意識が、非常に強くありました。
そのため、いつしか常に夫の顔色をうかがい、機嫌を損ねないように気を遣いながら生活するようになり、毎日を心から楽しいと思うことが、最近ではすっかりできなくなってしまいました。
自分でも働いて収入を得ることを考えたこともありましたが、長年、専業主婦として家にいたため、「今さら社会に復帰するのは不安だ…」と、一歩踏み出す勇気が持てず、時間だけが過ぎていく、という状況でした。
しかし、実は旦那さんの方は、奥さんが自分に対して、そんな風に顔色ばかりうかがうのではなく、主従関係ではなく、もっと対等な立場で、お互いの意見を自由に話し合える関係を望んでいました。
それなのに、奥さんの方が「自分は養われている身の上だから…」と、必要以上に遠慮してしまい、お互いの本音を言う機会もなく、コミュニケーションが噛み合わない中で、旦那さんも不満を感じていました。
家事などは、すべて奥さんが完璧にこなしていましたので、このご夫婦の間には、「家事ができない夫」と、「社会に出て経済的に自立することに、強い不安を感じる妻」との間で、ある種の「利害関係」が一致していた、とも言えます。
一見すると、役割分担がきちんとできているようにも見えるのですが、その実態は、お互いに不満を抱え、心からのコミュニケーションが、全く取れていない、という障壁がありました。
カウンセリングを通して、Cさんは、ご自身の考え方の偏り(従属意識)に気づき、意識の転換を図りました。
やがて、Cさんは少しずつ自信を取り戻し、パートタイムの仕事を見つけ、外の世界へと歩み出すことができました。そして、旦那さんとも対等な立場で話ができるようになったことで、夫婦間のコミュニケーションも改善していきました。
このケースの場合、幸いにも旦那さんにモラハラやDVといった、より深刻な問題がなかったことが、改善への大きな助けとなりました。しかし、奥さんの過剰な自信のなさが、かえって夫婦間にイライラや不満をもたらす原因となっていた、という側面がありました。
ケース2:DV・モラハラ夫と、それに耐え続ける妻
DV(身体的暴力)やモラハラ(精神的暴力)行為がある、といった問題を抱えた男性は、残念ながら一定数存在します。そして、そんな問題のある男性と、離婚もせずに、ひたすら耐え続けている女性もまた、その数だけ存在している、というのが現実です。
もちろん、暴力行為をする方が、完全に悪いのです。
しかし、被害を受けている側の女性の中にも、「こんな夫でも、見切りをつけずに、耐え忍び、支えられるのは自分だけなんだ」といった、歪んだ自己犠牲的な認識を持つことで、その悪い関係性を壊すことを無意識のうちに拒んでいる場合があります。
「DVやモラハラをするのは、そうさせてしまう自分にも、悪いところがあるからだ」
「どんなにひどいことをされても、心のどこかでは、相手のことを愛しているから、一緒にいるべきなのだ」
…そんな風に考えてしまう。
しかし、実際には、心も体もボロボロになり、非常につらい思いをしている場合が、ほとんどです。
また、相手のことを考えてという よりも、離婚することや関係を断つと自分の不利益になると考えて、共依存の状態に陥っても抵抗も見せず黙認し受容している場合があります。
関係を続けていく上で、自分にとって何かやるせなさやモヤモヤと思うことがあったり、心身に不調を感じることがあるような関係の場合はその関係性そのものを見直すことも必要です。共依存に陥りやすい人の多くには、自ら問題のある人を選んでしまう傾向があります。
自己評価が低くなりがちな人ほど、相手に必要とされる自分に価値を見出すため、ダメンズやダメ男と呼ばれる人を無意識に選んでしまうのです。
「自信のない人」が好き? 共依存の心理
共依存に陥りがちな人は、自信の無い、頼りない感じの人が好きという場合もあります。その人が自信をもって何かに取り組むことを好みませんし、友人と積極的に交友関係を持つことにも良い顔をしません。その中に異性がいればなおさらでしょう。
要は自立した精神をもった相手ではなく、自分の支えのみで相手が存在することを望んでいるのです。「私がいるからあなたの存在が成り立つ」との発想に基づいています。それにより、「あなたがいなければ生きていけない」「あなたのそばにいて支えたい」といった思いや関係性が生まれます。
自分の性質を十分に理解した上で恋人や将来共にする相手を選んでいる場合が多いのですが、お付き合いし関係性を持つことで、自分が疲れてしまうことや心が傷つけられる場合には少し考えないといけません。その人と距離をとることも必要ですし、相手の問題と自分をゴッチャにしないことも必要になってきます。
自分の生きがいをその人を支えることに費やしている場合などがありますが、相手はあなたに甘え、支配し、コントロールしたいとの考えている場合が多いのです。自分の幸せを考えず後回しにし、相手のことを最優先として考えすぎてしまうことが問題といえるでしょう。
相手をコントロールしない、尊重し合う関係へ
夫婦や恋人関係、どのような関係性においても、相手をコントロールし、支配したいという意識が働けば、それを受ける相手にとっては辛いものとなるでしょう。自分の気持ちを伝えることは大切ですが、決めるのは相手です。自分の意見を強引に押し通すのではなく、相手の意見を尊重することも大切です。
相手の考える力を奪わず、それぞれに思いやりを持ち関わることが必要になります。相手ばかりに依存しないで、自分の趣味などに時間を使ったり、勉強したり仕事をしたりするといいでしょう。その経験を通して、相手への対応が変わってくる場合もあります。
例えば自分が同じような辛い体験をすれば、相手もこんな気持ちになったのかなぁなどと、相手の悩みや辛さを推測することができます。目の前の配偶者や恋人以外にも注意を向けて、自分の時間を大いに楽しむ。
そうすることで相手ばかりに向いていた大きなベクトルが趣味や仕事に分散し、経験によって相手を思いやることに繋がります。そして相手もあなた最優先で過ごしていた人生が、それぞれに尊重し、生き生きと楽しいものとなるでしょう。
「自分主導」の人生を取り戻す
束縛してくる配偶者や恋人はあなたのことなどは考えていません。自分の欲求を満たすために行動を起こし、詭弁を弄して意見を言っている場合が多いですので、無理にそれに合わせる必要はないでしょう。
相手に合わせ過ぎてしまうよりも、むしろしっかり自立した自分の意思の元、好きに生きて行くといいでしょう。「相手は相手」「自分は自分」という考え方で配偶者も恋人も考えていくべきです。いつも一緒にいる必要は全くありませんし、お互いの時間も極力大切にしましょう。
自然に一緒に居たいという関係であればいいのですが、そうでないのであれば、距離を置くことも決して悪いことではありません。自分にマイナスになると思えば距離をとることが必要な場合があります。 相手に問題が無い場合もありますが自分の方から依存できる相手を探しに行っていないかも十分に注意しましょう。
いずれにしてもお互いに尊重し合うことができる、お互いの個性を楽しめあえる夫婦関係、恋人関係が良いでしょう。それには一人ひとりが地に足をつけて自立していること、相手に翻弄されることなく自分主導の人生を生きられることが必要になります。結論を申し上げれば自立とは程遠い共依存関係は共に不幸になります。
自立した関係とは、「お互いに依存せず、それぞれの人生を尊重し合えること」を意味します。自分の気持ちや希望に気づき、それに基づいた行動を選ぶことは、健やかな関係の第一歩です。そろそろ共依存症から卒業しましょう。
夫婦共依存からの脱出:関係性を見つめ直す
今一度、夫婦関係や恋人との関わりを見つめ直してみましょう。
- 私はパートナーの経済力に頼っており養ってもらっている
- 私が苦しんでいるパートナーを救わなければ
- 私にとって恋人が人生の全てである
実際のところはどうなんでしょうか?本質が見えていますか?不満は一切ありませんか?パートナーに対し常に言いたいことを我慢し、相手の顔色を伺い、話を合わせ嫌われないように見捨てられないように気を遣いながら生きていませんか?自分の幸福の基準が「相手が喜ぶかどうか」になってはいないでしょうか?その為に自分がおざなりになってはいないか、自分が不在になってはいないかなどをもう一度考え振り返ってみて下さい。
あなたは自分は何がしたいのか解らなくなる程にパートナーの問題に囚われていることにそろそろ気づきましょう。あなたの人生において、パートナーや恋人が「主役」になっていませんか?あなた自身の人生なのに主役も張れず脇役で良い訳がありません。共依存症の克服はそんな「自覚」から始まります。
名古屋聖心こころセラピーでは、相手によって成り立つ自分から脱却し、人生の主人公である自分を取り戻すためのプログラムを用意しております。自分自身によって成り立つ、他人によって浸食されない精神と尊厳を取り戻しましょう。
参考文献・参考資料
- 清水新二 編(2001) 『共依存とアディクション:心理・家族・社会』 培風館
- 樫田美雄(2002) 共依存とアディクション 家族社会学研究 第13巻 第2号