依存症各種カウンセリング

依存症(依存障害)とは、特定の「対象」(物質、人、行為など)を繰り返さずにはいられなくなり、自分自身ではその行動をコントロールできなくなってしまう状態です。
日常生活や社会活動、大切な人との信頼関係にまで支障が出てしまうようであれば、それは「好み」や「心の拠り所」を超え、「依存症」と呼ばれる状態へと変化している可能性があります。早期の問題解決が非常に重要です。
誰にでも起こり得る依存症
「依存」とは、本来どういう意味でしょうか?
依存という言葉は、辞書的には「他のものに頼って、それによって自分自身が存在すること」といった意味合いで使われます。
私たちは誰しも、一人だけで生きていくことはできません。他の人や物に頼ることは、決して悪いことではありません。
しかし、頼る対象に対して過度にのめり込んでしまうと、次第に自分自身でその関わり方をコントロールするのが困難になり、「それがないと、自分は成り立たない」と感じるようになります。
そして、やがては「それがないと、自分は生きていけない」とまで思い詰めてしまう…。これは決して大げさな話ではなく、依存症とは、それに限りなく近い状態に陥ってしまうことなのです。
この状態を、「依存が形成された」と言います。
「依存」という言葉自体は、誰もが多少なりとも持っている「依存心」を連想させるため、あまり深刻なイメージを持たない方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、実際の「依存症」は、非常に恐ろしいものです。
依存症が進行すると、ただひたすらにその依存対象に執着し、それ以外のもの(家族、仕事、健康、趣味など)が、どうでもよく思えてきてしまいます。
そうして、それまで築き上げてきたはずの大切なものへの関心が薄れ、どんどんと距離が離れていき、気づいた頃には、人生における大切なものをすべて失ってしまう…そんな恐れさえあるのです。
一言で「依存症」と言っても、その種類は様々であり、ご本人や周りの人に与える影響もそれぞれ異なります。
依存症は、大きく「物質依存症」「対人依存症」「プロセス依存症(行為依存症)」の3つのタイプに分類することができます。
あなたの身近にもある「物質依存症」
物質依存症とは、アルコールや薬物、タバコなど、特定の物質を体内に取り込むことによって得られる感覚や効果を繰り返し求め、やめられなくなってしまう状態です。
依存の対象となる物質は、比較的身近に手に入るものが多く、誰でも陥る可能性があります。
このカテゴリーに含まれる主な依存症には、以下のようなものがあります。
アルコール依存症
お酒が飲めない状況になると、イライラしたり、強い不安を感じたりするため、常にお酒を欲してしまいます。一度飲み始めると、飲む量やタイミングを自分でコントロールできなくなります。

くすり依存・薬物依存症
医師から処方された精神安定剤、睡眠導入薬、抗うつ剤などの精神科の薬や、市販の風邪薬、咳止めなどを、本来の目的や用法を超えて乱用し、やめられなくなる状態です。薬が切れると強い離脱症状(不安、不眠、体の不調など)が現れるため、繰り返し摂取してしまいます。

たばこ依存症(ニコチン依存症)
タバコが健康に害があると頭では理解していても、ニコチンの強い依存性と、禁煙した際の離脱症状(強い喫煙欲求、イライラ、集中困難など)に耐えられず、タバコをやめることができなくなります。
人を頼り、求めすぎてしまう「対人依存症」
特定の人との関わりの中でしか、安心感や自分の価値を見いだせない状態が「対人依存症」です。
対人依存症の傾向がある方は、対等で健全な人間関係を築くことが難しく、相手に過度にしがみついたり、もたれかかったりする一方で、逆に相手を支配しようとしたりするなど、不安定で不健康な上下関係の中で人と繋がろうとする特徴があります。
対人依存には、主に次の3つのタイプが挙げられます。
共依存症
親子、夫婦、恋人同士などの親密な関係において、お互いが過剰に依存し合い、一方が相手をコントロールし、もう一方がそれに従うといった、不健全な関係性に陥ってしまう状態です。そこには真の平穏はなく、相手がいなければ自分自身が成り立たないと感じる、不安定で不幸な関係を指します。


恋愛依存症
常に恋愛をしていないと強い不安を感じ、誰かに愛されていないと自分の価値を感じられない状態です。しかし、いざ恋愛関係になっても、相手に過剰に依存したり、束縛したりするため、健全な幸福感を得られず、不安定な関係を繰り返したり、生活の他の側面に様々な悪影響が出たりします。しばしば、「共依存」の関係にあるパートナー(回避依存傾向のある相手など)と結びつきやすいと言われています。

性依存症・セックス依存症
セックスによって得られる一時的な興奮や開放感、あるいは現実逃避などを求め、特定の相手、あるいは不特定の相手との性的な関係を衝動的に繰り返してしまう状態です。しかし、その行為が終わると、満たされるどころか、強い寂しさや虚無感、罪悪感に苛まれることが少なくありません。

我を忘れ、一つのことに没頭してしまう「プロセス依存症(行為依存症)」
特定の「行為」そのものにのめり込み、やめられなくなってしまうのが「プロセス依存症(行為依存症)」です。
比較的、気軽に取り組めるような身近な行為が対象となることが多く、その行為をすることで、現実のつらさや不快な感情から一時的に逃避したり、興奮や達成感を得たりしようとします。
プロセス依存症は、対人依存症のように、特定の相手との複雑な関係性を必要とせず、ある行為に没頭するだけで快感を得ることが可能なため、もともと対人関係が苦手な人に多く見られる傾向があるとも言われています。
インターネット依存症
目的もなくネットサーフィンを長時間続けたり、オンラインゲームにのめり込んだり、SNSのチェックがやめられなかったり…。インターネットやスマートフォンなどのオンラインツールに費やす時間が過剰になり、学業、仕事、家庭生活などに明らかに支障が出ている状態を指します。ご本人は、その問題に無自覚である場合が多いのも特徴です。

仕事依存症
現実の悩みや家庭の問題などから逃避するため、あるいは過剰な承認欲求や完璧主義などから、健康や家庭を犠牲にしてまで仕事に没頭し、仕事をしていないと不安を感じたり、イライラしたりする状態です。「仕事中毒(ワーカホリック)」とも呼ばれます。

買い物依存症
ストレスを発散したり、満たされない気持ちを紛らわせたりするために、必要のないものを衝動的に、繰り返し買ってしまう状態です。後先のことを考えずに買い物をしてしまうため、常に金銭的な問題を抱えやすく、借金を重ねたり、買った後に強い自己嫌悪に苛まれたりします。

ギャンブル依存症
パチンコ、競馬、競艇などのギャンブルに対する衝動を自分でコントロールすることが困難になり、ギャンブルのためにお金(時には借金)をつぎ込み続け、人間関係や家族関係に深刻なトラブルを引き起こし、日常生活に大きな支障をきたすほどのめり込んでしまう状態です。

このように、依存症には様々な種類がありますが、どれもご本人だけでなく、周りの大切な人々をも傷つけてしまう可能性のある、深刻な問題です。
「もしかしたら、自分は何かに依存しているのではないだろうか?」
「そのことで、自分の生活や周りの人に、何か悪い影響は出ていないだろうか?」
ぜひ一度、ご自身の心と行動に、正直に問いかけてみてください。
依存症の2つの側面:「精神依存」と「身体依存」
依存症には、大きく分けて「精神依存」と「身体依存」という2つの側面があります。
精神依存
これは、すべての依存症に共通して見られるものです。
依存している対象(物質や行為)をやめようとすると、強い不快感、不安感、イライラ、渇望感などが生じます。そして、その不快な感覚から逃れるために、何が何でもその対象を手に入れようとしたり、その行為を行おうとしたりする、強い衝動に駆られます。
身体依存
これは、主に薬物依存やアルコール依存など、特定の物質への依存の場合に顕著に見られるものです。
長期間にわたって依存物質を摂取し続けた結果、身体が生理的にその物質を常に必要とする状態になってしまうことです。
もし、その物質の使用を急に中止したり、量を減らしたりすると、離脱症状(禁断症状)と呼ばれる、様々な身体的・精神的な苦痛が現れます。
例えば、強い不安、イライラ、不眠、発汗、震え、吐き気、筋肉痛などが起こり、ひどい場合には、痙攣発作や幻覚、幻聴といった、命に関わるような深刻な症状が現れることもあります。
依存から抜け出せない… その苦しい状況
依存症とは、まさに、依存する対象が自分の世界の中心となり、それがなければ自分が成り立たない、と感じてしまう状況です。
依存の対象は、これまで見てきたように実に多岐にわたり、数多くの種類があります。
そして、一度「依存症」というレベルにまで達してしまうと、それは単なる「熱中」とは異なり、自分の意志だけでは、なかなかその状態から抜け出すことができません。「やめよう」と思っても、強い渇望感や離脱症状に苦しんだり、「どうせ自分には無理だ」と諦めてしまったりして、結局やめられない、という状態に陥ります。
さらに、やめようという意思そのものが、そもそも働かなくなってしまう場合もあります。依存症に陥ることで、判断力や現実認識能力が低下し、家族や周りの人がどんなに困っていても、あるいは第三者に迷惑をかけてしまっていても、そのことに気づけなくなってしまうのです。

依存症の克服は、「完治」という概念とは少し異なります。病気が治るように、依存症が完全になくなる、というわけではありません。克服とは、依存対象(物質や行為)を「やめ続ける」こと、そして、依存対象に頼らなくても、健やかに生きていけるようになることを意味します。
もし、依存症をそのまま放置すれば、失うものは計り知れません。健康、仕事、お金、家族、友人、信頼…。その度合いによっては、社会生活そのものを営んでいくことが困難になることもあります。
依存症は、脳がその対象から得られる一時的な快楽や安心感を忘れられず、繰り返しそれを求めてしまう状態、とも言えます。
しかし、その先には、数多くの深刻な弊害が潜んでいます。自分の行動をコントロールできなくなり、制御不能な状態に陥ってしまえば、それは紛れもなく「依存症」と呼ばれる、治療やサポートが必要な状態なのです。
「やめたいのに、やめられない」… 依存症のメカニズム
最初は、単なる好奇心や、ちょっとした気晴らしのつもりで始めたことかもしれません。
しかし、依存症に陥ると、それをしなければ(あるいは、摂取しなければ)、心や体に様々な不調が現れるようになります。「やめよう」とすると、強いイライラ感に襲われたり、身体的な離脱症状が出たり…まさに「中毒」状態です。
依存対象に触れている間は、一時的に嫌なことを忘れられたり、現実から逃避できたり、あるいは脳内で快楽物質(ドーパミンなど)が放出されて、気分が高揚したりします。
そして、その一時的な「良い気分」を再び得るために、またその物質を摂取したり、その行為を繰り返したりしてしまうのです。
その繰り返しの中で、その快楽や安心感への渇望は、どんどんとエスカレートしていきます。そして、気づけば、社会生活や家庭生活を犠牲にしてでも、その快楽を追い求めてしまう…そんな恐ろしい状況に陥ってしまうのです。
依存症は、一人だけの力で抜け出すのは非常に困難なものです。多くの場合、家族や支援者、専門家など、周りの人々の協力やサポートを得ながら、治療や回復に取り組んでいくことが必要になります。
強い欲求や衝動の自己制御が困難になる
依存症になると、「あれが欲しい!」「これがしたい!」といった、湧き上がるような強い欲望を、自分自身の理性で抑えることが非常に難しくなります。
「もう、これで最後にしよう」「今日でやめよう」と、頭では何度も思うのですが、結局、その衝動に抗うことができず、同じことを繰り返してしまうのです。
中には、「自分は依存症なんかじゃない」「やめようと思えば、いつでもすぐにやめられるんだ」と、強く思い込んでいる(あるいは、そう思い込もうとしている)人もいます。しかし、それは現実から目を背けるための言い訳(否認)であることがほとんどです。
「明日からやめよう」「来週からにしよう」と、いつも何かしらの理由をつけて、先延ばしにしてしまうのです。
また、何かストレスがかかった時に、そのストレスに正面から向き合うことを避け、現実逃避するようにして、依存対象(物質や行為)にのめり込んでいく、というケースも非常に多く見られます。
ストレスの多い現代社会ですから、誰にとっても、つらいことや大変なことはあります。しかし、そのストレスへの対処法(コーピング)として、依存的な行動を選んでしまうことが、依存症へとつながっていくのです。
このような場合、依存症そのものへのアプローチと同時に、ストレスへの対処能力を高めていくことも、改善のためには必要となります。
依存症の根底には、生育環境の問題が隠れていることも
依存症の背景には、心が満たされていない虚しさや「自分の人生がうまくいっていない」という苛立ちや不安が隠れている場合があります。そうした心理的なストレスから逃れるために、依存症に陥る方も少なくありません。
特に、幼い頃の生育環境が、依存症の発症に深く関わっているケースが多く見られます。
- 両親の仲が悪く、家庭内が常に緊張状態だった
- 周囲の大人から十分に愛情を受けられなかった
- 家族など身近な人から、否定や批判をされることが多かった
- 育児放棄(ネグレクト)され、自分の存在を無視されているように感じていた
- 周りに自分のことを認めてもらえず、寂しさや「自分には価値がない」という思いを抱えたまま大人になった
…など、幼少期に安心感や愛情を得られなかった心の傷、満たされなかった心の穴を埋め合わせるように、大人になってから、無意識のうちに依存症に陥ってしまう、というケースは決して少なくありません。
また、大人になってからでも、毎日の仕事や家事、育児などに追われ、心身ともに疲れ果て、そのストレスを解消する唯一の方法として、特定の物質や行為に頼ってしまう、という場合もあります。
依存する対象がなくなってしまうと、自分の中にある不安や空虚感と向き合うのが苦しくなり、耐えられなくなってしまう。そして、時には身体にも様々な不調が現れる…。
依存症に陥ると、その依存対象のことしか考えられなくなり、視野が極端に狭くなり、客観的な判断力を失ってしまいます。
本来やるべきこと(仕事、家事、育児、自己ケアなど)にも手がつかなくなり、ますます依存対象にのめり込んでいく…という悪循環です。
周りの人が「何かおかしいな」と感じ始めた時には、既に依存症がかなり進行し、深刻な状況に陥ってしまっている、というケースも多いのです。
「分かっているけど、やめられない」… コントロールを失った状態

ある行動や物質への関わり方が、「依存症」なのか、それとも単なる「嗜好」や「習慣」なのか。その一番の違いは、「やめようと思った時に、自分の意志でやめられるかどうか」に関わってきます。
その依存対象を断っても、日常生活や精神状態に大きな支障をきたすことなく、過ごせるかどうか、ということです。
したがって、依存症を克服するためには、その依存対象に対する考え方や、物事の捉え方の歪み(認知の歪み)を正していく必要が出てきます。
法律を守ること、家族の信頼を裏切らないこと…これらは、社会生活を送る上で当たり前のことです。しかし、依存症になると、そうした基本的な判断さえも非常に困難になり、依存の度合いが深まるにつれて、社会的なルールや倫理観を逸脱した行動をとってしまうこともあります。
大切なものをすべて失っても、それでもなお、やめることができない…。依存症は、それほどまでに根深く、社会全体の問題ともなっています。
しかし、依存症は、回復が可能な状態です。
依存に陥りやすい考え方や、精神状態そのものを変えていくことに、本気で取り組めば、依存からの脱却の可能性は十分に期待できます。
依存対象がない状態は、最初は非常につらく、苦しいものです。しかし、そのつらさを乗り越えた先には、依存に縛られない、自由で、より豊かな世界が待っています。
依存症からの回復:人生を取り戻すために
アルコール、ギャンブル、買い物、インターネット…。これらの対象そのものが、必ずしも悪いわけではありません。適度であれば、私たちの生活に彩りを与え、ストレス解消に役立つこともあります。
しかし、その関わり方が「嗜好」の域を超え、日常生活や人間関係に支障をきたしてしまうようになれば、それは「依存症」という、容易には抜け出せない状態に陥っている可能性が高いと言えます。
依存症に陥ってしまっている人の中には、ご自身にその自覚がない方も多く見受けられます。
「ちょっとだけなら大丈夫」「いつでもやめられる」と思っていても、なかなかやめられない…。時々なら問題ないかもしれませんが、その状態が継続しているようであれば、それはもはや「依存症」として、あなたの人生を蝕み始めているのかもしれません。
自分の意志だけではコントロールが難しい依存症の背景には、あなたの心の奥深く(潜在意識)が、その対象を強く求めてしまっている、というメカニズムがあります。
名古屋聖心こころセラピーでは、「心理カウンセリング」であなたの心の状態や背景を深く理解し、「コーチング」で具体的な目標設定や行動変容をサポートし、そして「心理療法」(認知行動療法、ヒプノセラピーなど)を駆使して、あなたの深層心理に直接働きかけることで、「頭では分かっているけど、どうしてもやめられない」という依存症からの脱却を、力強く促していきます。
もし、あなたや、あなたの大切な人が、何らかの依存に苦しんでいると感じたら、どうか一人で抱え込まず、一度、私たちにご相談ください。
依存症克服には、自分自身と向き合う覚悟も必要
依存対象への渇望から距離を置けるようになるためには、時には「我慢する」という、つらい気持ちと向き合い、それに打ち勝つことも必要になるでしょう。
依存行動の背景にある、見たくない現実や、嫌な感情とも向き合い、それを乗り越えていく努力も必要になるかもしれません。
一時的な快楽に溺れるのではなく、もっと長期的な視点で、自分の人生や、大切な家族(子どもや配偶者など)のことを考え、将来を見据えた行動を選択していくことが求められます。
そうした考え方をコントロールする力を、カウンセリングやコーチング、認知行動療法などを通して学んでいきます。
そして、「なぜ自分は、目先の快楽に溺れてしまうのか?」その根本的な理由を、自分自身で深く理解することで、依存行動から抜け出すための道筋が見えてくるでしょう。
嫌なことから逃げたくなるのは、人間の自然な感情かもしれません。
しかし、まずは、今の自分にできることから、一歩ずつ始めていくことが大切です。
「自分にとっての本当の幸せとは何か?」と問いかける
依存対象や依存物質が欲しくなった時、一度立ち止まって、自分自身の心に問いかけてみるのも良い方法です。
「今、私は本当にこれを必要としているのだろうか?」
「これをすることで、私は本当に幸せになれるのだろうか?」
「この行動の先に、何があるのだろうか?」
自分一人では、その衝動をコントロールできないと感じる場合には、信頼できる誰かに相談することも有効です。家族、友人、あるいは私たちのような専門家でも構いません。
抱えているつらい気持ちを言葉にして誰かに話すだけでも、自分の心の中が整理され、少し楽になることがあります。
大人になると、なかなか本音を言えなかったり、弱音を吐けなかったりすることも多いですよね。
また、家族に対しては、心配をかけたくない、という思いや、逆に甘えてしまう気持ちなど、複雑な感情が絡み合うこともあるかもしれません。

しかし、依存症からの回復には、まずご自身が「変わりたい」と本気で思うことが、何よりも大切です。
真面目に考えすぎてしまうからこそ、つらくなってしまう、ということもあるでしょう。
自分には何かが足りない、という感覚(欠乏感)を、依存行動で埋め合わせようとしているケースもあります。
あるいは、自分が苦手なことや、向き合いたくないことから逃れるための「カンフル剤」として、依存対象を求めている場合もあります。
そうした自分自身の心の動きを客観的に認識し、考え方を変えていくことで、心が楽になり、依存症を克服していく道筋が見えてくることもあります。
無意識の渇望に気づき、コントロールする
頭では「やめよう」と思っているのに、気づくと、無意識のうちに依存対象を求めて、足がそちらに向いてしまう…。そんな経験はありませんか?
それは、あなたの潜在意識(無意識)が、その対象を強く求めてしまっている証拠です。
カウンセリングやヒプノセラピーなどを通して、その潜在意識に働きかけ、望ましい方向へと導いていくアプローチも有効です。
依存症に陥っている時は、その行動自体が目的化してしまい、その背景にある本当の問題や、将来への影響などについて、深く考えることができなくなっている状態、と言えるかもしれません。
「治したい」という気持ちはありながらも、心の奥底では、その一時的な快楽や安心感を手放したくない、と望んでしまっている。その矛盾した気持ち(アンビバレンス)の中で、結局、潜在意識の渇望に従って、自動的に依存行動を繰り返してしまうのです。
「ちょっとくらい、いいだろう」
「今日だけ、これで最後にしよう」
「明日から、本気でやめよう」
…そんな言い訳や自己正当化が、潜在意識の中で繰り返され、「その行動をとっても問題ないのだ」という誤った考え方(認知の歪み)が、深く染み付いてしまっている可能性もあります。
まずは、そうした自分の中にある「認知の歪み」に気づき、それを修正していく必要があります。
周りが見えなくなり、依存対象にのめり込んでいる自分自身に気づき、周りの人々との関係性や、社会生活とのバランスを取り戻せるように、考え方や行動を変えていくことが大切です。
寂しさや空虚感を、依存で埋めようとしていませんか?
心身ともに疲れていたり、気持ちが落ち込んでいたりすると、「少しでも楽しい気分になりたいな」「嫌なことを忘れたいな」と、誰でも思うものです。
そんな時に、一時的にでも自分を楽しい気分にさせてくれるものは、非常に魅力的に感じられるでしょう。その対象に触れている間は、つらい気持ちが和らぎ、気分が楽になるため、気づけばそれに依存してしまう…ということも、十分に考えられます。
しかし、そこで立ち止まって、「この依存行動に逃げ込むばかりでは、根本的な問題は何も解決しない」「むしろ、状況は悪化しているのではないか?」と考える瞬間もあるのではないでしょうか。
依存対象に逃げ込むだけでは、状況が好転することはなく、むしろ、問題はさらに深刻化していくケースがほとんどです。
状況が悪くなっていることに気づいていながらも、その問題に取り組もうとせず、依存を続けていくのは、非常に危険な行為です。
そして、それはあなただけでなく、周りの大切な人々をも巻き込み、苦しめることになります。
その依存行為で、心の奥底にある寂しさや空虚感を本当に埋めることはできません。別の、より建設的で、健康的な方法を見つけていくことが大切です。
カウンセリングなどを通して、ご自身の寂しさや空虚感の正体を確認し、自分自身のことをより深く知り、弱さも含めて受け入れることができれば、依存対象への渇望は自然と減り、改善へと向かっていくでしょう。
依存症克服のために、記録することも有効な手段
依存症の中でも、特にギャンブルや買い物、インターネットといったプロセス依存(行為依存)の場合、その依存対象に費やした「時間」や「お金」などを、具体的に記録し、客観的に把握することも有効な方法です。
例えば、ギャンブル依存症であれば、使う金額の上限を決め、徐々に減らしていく。あるいは、儲かっても「つまらない」と感じる程度の少額でしか遊ばないようにするなど、具体的なルールを設けることも必要です。
また、依存行動を引き起こしやすい環境に、身を置かないような工夫も重要です。
例えば、ギャンブル仲間など、周りに同じような依存傾向のある人がいると、どうしても流されてしまいがちです。できれば、依存症からの回復を目指している仲間と交流したり、回復につながるような行動(自助グループへの参加、カウンセリングなど)を積極的に起こしたりするようにしましょう。
何よりもまず、ご自身が「治そう」と決意するところから始めることが必要です。
家族や子どもが、あなたの依存行動によって悲しんでいる、苦しんでいる姿を見るのは、あなたにとってもつらいことではないでしょうか?
周りの人の気持ちも考え、自分の行動を見直すことが求められます。
周りがどんなに困っていても、その依存行為をやめられないのであれば、それは完全に依存症に陥っている証拠であり、決して放置してはいけません。
誰かに助けてもらうのではなく、「自分の足で立つ」覚悟
少し厳しい言い方になるかもしれませんが、あなたが抱えている苦しい状況を、最終的に克服できるのは、依存対象でも、依存物質でもなく、あなた自身である、ということを知る必要があります。
あなた自身が変わっていくことで、周りの状況も少しずつ好転していく、ということを実感できるようになれば、自己肯定感も高まり、自分を認め、褒めてあげることもできるようになっていきます。
過去につらい経験をしたり、日々のストレスや不安と戦ったりしているのかもしれません。
しかし、依存という行為に逃げるのではなく、そのつらい状況そのものを変えていくために、あなた自身の「考え方」を変えていくことが、最も重要であり、必要となるのです。
「怖いから」と現実から目を背け、他の対象(依存)に安らぎを求めるよりも、自分の中で「依存症から抜け出す」と固く決意し、「良くなりたい」と強く願い、行動していくことが、何よりも大切になってきます。
つらく感じてしまうのは、あなたの中にある「考え方の癖」が原因になっている場合もありますし、他者からの評価を気にしすぎるあまり、という場合もあります。
自分の考え方を変えていくことで、自信が持てるようになり、本来進むべき、正しい道を歩むための気力も湧いてきます。
自分の選択と行動で、人生を充実させる
依存症に陥ってしまうと、その対象に夢中になるあまり、大切な人や周りの人に迷惑をかけていること、そして何よりも、自分自身の貴重な人生が台無しになっていることに、気づいていない場合があります。
アルコールや薬物は、身体に深刻な悪影響を与えます。ギャンブルや買い物、インターネットなどのプロセス依存の場合には、膨大な時間やお金、そして精神的なエネルギーが奪われ、自己成長や、本当に大切なことに時間を費やすことができなくなってしまいます。
私たちの人生において、何事もバランスが大切です。
どれか一つのことにだけ心が囚われ、他のすべてを犠牲にしてしまうのではなく、仕事、家庭、趣味、健康、人間関係など、様々な側面をバランス良く大切にしていくことが、充実した人生を送るためには必要です。
依存症に陥ると、その瞬間から周りが見えなくなり、家族がどんなに困っていても、自分の体がどんなに悲鳴を上げていても、「関係ない」といった自暴自棄な思考に陥り、自分ではブレーキが利かない状態になってしまいます。
その危険な状態から抜け出すためには、根本的な変化が必要です。
そのためには、専門の機関(病院、カウンセリングルーム、自助グループなど)で相談することも必要ですし、何よりも「依存症を克服するのだ」という、あなた自身の強い意志が大切になってきます。
誰か信頼できる人にサポートしてもらうことで、自分の状況を客観的に見つめ直し、考え方を変えていくきっかけを得ることもできます。
一人で悩んでいないで、改善への取り組みを、今すぐ始めることは、あなたの未来にとって、大変有意義なことです。
本当に大切なものは何か? もう一度、考えてみませんか
生まれ育った環境などによっては、「幸せとは、一体どういうものなのだろうか?」と、その基準が分からないまま大人になっている、という方もいらっしゃるかもしれません。
幸せな体験を十分に経験してこなかった場合、幸福の基準が曖昧になり、幸せとは程遠い方向へと進んでしまったり、道を踏み外しやすくなったりするのも、ある意味、自然なことなのかもしれません。
愛情ある温かい家庭で育った人は、その経験を土台として、人生において幸福を求め、維持しようとする力に溢れていることが多いものです。しかし、そうでない環境で育った場合には、残念ながら、寂しさや満たされなさを抱えやすく、依存などの問題行動に走りやすい傾向が見られることもあります。
だからと言って、諦める必要はありません。
一時の快楽に溺れるのではなく、苦しい状況の中にも、自分にとって本当に価値のあること、有益となるようなことがあるはずです。そうした側面にも、目を向けられないでしょうか?
カウンセリングなどを通して、そうしたポジティブな側面や、自分自身の強さに気づくこともできます。
理由もなく気分が落ち込んだり、特定の出来事に関係なく憂うつな気分になったりすることもあるかもしれません。
そんな時も、「どうすれば、この状況から抜け出せるだろうか?」と前向きに考え、具体的な行動を起こしていくことが必要になります。
高い理想があったとしても、なかなかそれに近づけない、と感じることもあるかもしれません。でも、諦めずに、自分の中で何か少しずつでも変えていく、その小さな積み重ねが、やがてあなたの理想とする自分へと近づけてくれるはずです。
「今日よりも、明日は少しでも穏やかな自分でいよう」
そう心に決め、依存対象をやめ続ける努力をしていくことが、回復への道です。
もちろん、人に迷惑をかけない範囲で、たまに楽しむ程度であれば、問題ない場合もあります。
しかし、どんな依存症であっても、きっぱりと「依存を辞める」という決意を持つことが回復に繋がる道なのだと、肝に銘じることが大切です。
「あなた自身の不安感を、根本的に鎮めることができるのは、もはや依存対象に求めるのではなく、あなた自身の内側に、その力を見出すことしかありません。」
参考文献・参考資料
- 渡辺登(2007) 『依存症のすべてがわかる本』 講談社
- 内閣府(2021) 令和3年版障害者白書 第5章 第2節 3項 「依存症について」