今ある苦悩の根本を紐解き思考の癖を修正し問題を解決・克服するためのカウンセリング
< Contents >
□ 自己否定・自己嫌悪にも理由がある
□ 自分を好きになれないのは何故か
□ 理想の自分を求めれば自分では無くなる
□ 自分はダメだと思う自分がダメなんだ
□ 言われてやっているから自己嫌悪となる
□ 親の期待に応えようとするから自己嫌悪
□ 理想の子供になろうとすれば自己否定
□ 他者の理想の自分になることを否定しよう
□ 自己を否定するから結果自己嫌悪に陥る
□ 自己否定・自己嫌悪を続ければ心身も病む
□ 自己否定・自己嫌悪を脱却することが急務
自己否定・自己嫌悪 実際に通われた方の感想文を掲載しています |
▶ 通われた方の感想
週一回ペースで8回通った
一生、自己否定や自己嫌悪と付き合っていかなければいけないと思っていましたが、思考改善は本当にできることを心から実感しています。感謝でいっぱいです。
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カウンセリング事例を掲載しています |
▶ カウンセリング事例 自身のことを否定し続け、自分で自分を拒絶する自己否定や自己嫌悪を抱いている人が幸せであった試しはありません。A男さんもその一人で、辛そうな表情でお越しになりました。「何やってもダメ」「こんな自分が嫌で仕方ない」と語気強く語られました。思考改善のカウンセリング中も「でも」「だけど」が口癖のようでした。これほどまでA男さんの自己肯定感を低くし、自分を大切に思う気持ちを欠くようになったのか。親子関係や中学時代のいじめが大きく影響しているようでした。自分自身を攻撃し続け、嫌な自分との同居は相当辛かったことと思います。自分にフィットしない考え方を脱ぎ捨て、新しい思考を身につけ、「でも」「だけど」で一歩踏み出せないA男さんを後押しすることで成功体験を多く積み、お気に入りの自分が見つかるように支援し続けました。俯き加減だったA男さんは、カウンセリングが終わる頃にはよく自分を理解し、最近の出来事などを客観的に考えられるようになっていました。A男さんのように自分に合わない考え方は変えられます。辛さを見て見ぬふりをせず改善することでこれからの人生が大きく変わることでしょう。 |
自己否定・自己嫌悪 関連性のあるもの
性格改善 | 社交不安障害 |
人間関係 | 回避性人格障害 |
自己否定・自己嫌悪にも理由がある
自己否定と自己嫌悪の感情は一体どこからやって来て、いつから脳裏や心の奥底に棲み着いているのでしょうか。自己否定や自己嫌悪の感情とそろそろお別れをする準備を始めましょう。そしてお気に入りの自分に出会い二度と自己否定・自己嫌悪に侵されない精神構造を持ち、幸福な毎日を送れる生き方を目指しましょう。
自己否定・自己嫌悪とは、自分のことを好きになれない感情です。うつ病の人は、特にこの感情が顕著に表れます。誰にでも少しぐらいは「自分はここが駄目だなぁ」と思うこともあるかとは思います。
ただ、自己否定感が強くなりその考えに囚われ過ぎてしまえば「ここが駄目だなぁ」だった「部分的な箇所」から「自分は駄目な人間だ」というように「全人格的」な否定に陥り、そんな自分に対し「嫌悪感」を持つに至り、今の自分を全く認められなくなります。
自分を好きになれないのは何故か
自己否定感の強い人には「理想とする自分」が存在します。そして「理想の自分」と「現在の自分」の違いを常に気にし「どうして自分は理想の自分と違うのか」と悩みます。この「理想の自分」というのは多くの場合完璧な人間であり、到達するのがおおよそ不可能であることが殆どです。
その為、自己否定感の強い人は常に「理想の自分」と「現在の自分」のギャップに苦しむことになります。では、「理想の自分」のイメージはどこから来たものなのでしょうか。それは最初から自分の中にあったものでしょうか。答えは違います。
「理想の自分」「こう在りたいと思う自分」というのは、自分の育ってきた環境の中で、徐々に育まれてきたものです。
幼い頃は、ただ目の前のことに夢中で、自分の思うまま、無邪気に振る舞っていたと思います。例えば電車やバスで席を立って走り回ろうとしたり、大声を出したり、食事を食べる時にガチャガチャ音を立てたり、お菓子をお腹いっぱい食べようとしたり、色々と思い当たるのではないでしょうか。
そうして、親から「そんなことをしては駄目だよ」と注意されて、礼儀やマナー等を覚えていったのではないかと思います。子どもの躾(しつけ)は、親の大切な義務です。しかし、躾をする時、親がどのように子どもに対して接してきたかの方法論が問題です。
自分の行動を親に注意された時、子どもは自分のやりたいと思っていることを我慢しようとします。そうして我慢した結果「偉いね」と褒められます。多くの場合、親は子どもを叱る時「何故その行動を取ってはならないのか」を子供が理解できる程度にその理由を噛み砕き説明します。
礼儀やマナーの躾の場合、子どもは「何故」を理解したうえで我慢します。
しかし、親が子どもを叱る時に「自分が子どもに○○であってほしいから」と親の理想が入ると「何故」の理由が歪んでいきます。例えば遊んでいる子どもに対して「勉強しなさい」「それはあなたの為に言っているのよ」と注意したり叱ったり、勉強したら「偉いね」と褒めたとします。
そうなると、子どもは「勉強したら褒めてもらえる」と当然に思います。または勉強を頑張ろう、とも思うかも知れません。しかし次に、子どもがスポーツや芸術活動といった勉強以外のことをした時、反応しなかったり、明らかに勉強した時よりも良い反応を示さなかったりしたとします。
そうなると、子どもの考えは段々と「勉強したら褒めてもらえる」から「勉強しないと褒めてもらえない」になっていきます。ここに「勉強ができる自分」という理想が完成します。親が子どもに対して「勉強ができる子であってほしい」と思っている為に「勉強ができる自分」という理想が出来上がります。
このように、家族や、周囲の人との関わり合いの中で徐々に「理想の自分」のイメージが組み上がり、本人はそのイメージに極力自分を合わせようと努力します。その必死さと、自己否定感の底には「理想の自分でなければ愛されない、理想に届いていない自分は要らない」という考えがあるのです。
努力することは勿論悪いことではないのですが、このような考えを基準に努力しているようであれば、努力している間は苦しいばかりですし、いくら頑張ってもなかなか満足することはできません。そして「もっと頑張らないと」と思い、自分で自分を褒めてあげることが困難になってしまいます。
また、上手くいかないことや、不快なことがあっても全て自分のせいだと思い、自分を責めてしまうようになっていきます。
理想の自分を求めれば自分では無くなる
人は、他の人と円滑に付き合って行く為に「お付き合い用の、外向きの自分」を持っています。あまり親しくない人に対して良い顔をする人を「外面が良い」と言いますが、「お付き合い用の自分」のことを「仮面の自分(ペルソナ)」と呼ぶこともあります。
自己否定感を持ちやすい人は「愛される為の理想の自分」のイメージに近づく為に、「駄目だと思っている自分」を捨てていきます。そして、誰からも愛されようとすればする程ドンドン理想から掛け離れていくと思い、駄目な自分を切り離していき、本当の自分が徐々に分からなくなっていきます。
更に、それだけの辛い思いをして「理想の自分」という仮面を手に入れても「切り離して来た自分こそが本当の自分なんだ」と思ってしまう為に、褒められても当然に受け入れることは出来ず「本当の自分は違う。駄目な奴だ」と考えてしまい、自分で自分を認められません。
本来は「仮面の自分」も「切り離した(抑えている)自分」も自分の一部です。褒められたのも、頑張ったのも自分自身なのですがそれが認められないのが、この「自己否定」「自己嫌悪」の持つ人の特徴なのです。
自分はダメだと思う自分がダメなんだ
生きていれば誰でも、幾度か挫折を経験することもあると思います。そんな中で自分って駄目だなぁとフト感じる瞬間もあるかも知れません。
健全な精神を宿していれば、再度トライする意欲や闘志などが湧き上がってくるのですが、自分はダメだという感情に支配され自信を喪失してしまうと、色々なことがスムーズに行えなくなる弊害などが出てくることになります。
何か行動を起こした時に、誰かから褒められることや、上手だね。とか言って貰えることは、そのことを続けて行こうと思える原動力にもなりますが、どこかで、でもこの部分はいまいちだったなぁとか、反省点なども見えてきます。
反省し改善していくことは良いことなのですが、自分に対する否定的な感情が精神を占めるようになれば、自己否定・自己嫌悪の世界に陥り辛い気持ちに押しつぶされ、抑うつ状態に陥ってしまう時もあります。
言われてやっているから自己嫌悪となる
何か行動を起こす時には「自分からやってみたい」とか、「やってみよう」という知的好奇心のようなものが必要になってきます。勉強においても、親の指示で仕方なくやっているのと、上手くできて面白いと思ってやっているのとでは、本人の意欲に大きな差が出ます。
出来ると面白いからやる!ということはよくありますし、出来ないと面白くないので、渋々やることになるのも分かります。
色々な行動を起こす時には、この意欲の部分がとても大切になってきます。スポーツや芸術活動、お手伝い等様々なことで自ら進んで行っていることはありませんか?自発的な行為に対し、認められたり褒められたりすれば、自己肯定感が高まっていくのですが、親の希望と自分のしたいことに差があり、親に褒められる完璧な自分を理想とすれば、理想と現実との狭間に葛藤が生まれ自己否定が深まります。
本人もよく分かっている部分もあるのですが、自分に対する親の願望を意識し、現実と実際の自分との間にギャップを感じてしまい、親の期待通りに成功し実現させ、周囲から良い評価を受けたとしても、自分を認め評価することを全くせず、この程度なら誰でもできるとか、とか自分はこの程度…。と自己否定に陥ってしまいがちになります。
過重な親の期待から完璧主義になり目標や理想が高過ぎるというのが最大の問題です。
親の期待に応えようとするから自己嫌悪
一般的に親は、子供の秘めた可能性に期待する部分もあるのだと感じます。また、学生時代に勉強ができたりスポーツができたりなんらかの長所があった場合には、親の期待も大きい場合もあるでしょう。
しかし、その期待を裏切るような結果になった時に、親も落胆するかも知れませんが、それ以上に子供は自己否定感でいっぱいになるでしょう。自分でも頑張りたかった場合でも、出来なかった場合などには、どうして自分は出来ないのだろうと感じるかも知れません。
そこで、まぁいいか。これも自分なのだ。と思えれば少し楽になれるのですが、理想を追い求めて、それに近づこうともがくのは苦しい場合もあります。
そんな苦しさも乗り越えて少しずつ大人になっていくのですが、子供は親の期待に応えるためではなく「自分の人生は自分のためにあるものだ」という意識を強く持ちつつ、生きていく必要があります。
理想の子供になろうとすれば自己否定
親からは勉強しなさいと言われ、自分ではなんで勉強するのかよく理解出来ていないままに勉強している場合などがあります。
勉強には自分の発露による意欲も大切になってきますが、勉強することで知見が広がるだけでなく、大人になってから様々なことを実行する上でも大きく役に立つということを親自身がよく理解していない場合も多く見受けられます。
大人になっても、親になっても勉強することは大切なことで、いろいろな知識をつけることで、自分自身が成長していきます。誰かに褒められるためにするというよりも、自分自身こんなことを知りたいとか、こんなことをやってみたいということを念頭に勉強してみるのもいいでしょう。
親には親の考えがあって言っていることもありますので、子供と相容れない場合もあるかもしれません。しかし、自分の経験なども加味して子供にはより良い生活を送ってもらいたいと考えて発言をしている場合もあるでしょう。
親にも興味の対象はありますが、子供が自己否定・自己嫌悪の人生に陥る事がないよう、是非子供さんが大好きで熱中している事のように自発的に頑張っているものであれば例え親が気にいる事で無いにしても目を向けて応援してあげてほしいものです。
他者の理想の自分になることを否定しよう
親や家族などが思い描く理想の子供に自分がなることはとても難しいことです。どんなに頑張っても努力しても、それは他人の理想でしかないので、自分がそれで快適に過ごせるのかはまた別の話になってきます。社会的な考え方もありますし、親もその価値観に縛られている場合もあります。
そのことに気づきもっと深く考えられる親もいますが、表面的なことにこだわっている人も多いです。表面的なことは、一見評価されやすく良さそうにも見えますが、実際には、あまり心地良くないという場合もあるでしょう。そこで、できない自分が重なってしまい、もう駄目だ。と感じることもあるかも知れません。
親は将来の理想の姿というものを押し付けてくる(押し付ける気がなくても、言ってくる)可能性もありますが、結局自分の人生を生きていくのは自分であるので、自分の人生に責任をもって生きていくことが必要になってくるでしょう。そのためにも自己肯定感を高めていきましょう。
自己を否定するから結果自己嫌悪に陥る
出来ないとあきらめ挑むこと無く何もしないことは、その可能性を自ら摘んでしまうため、ますます何も出来なくなってしまいます。本当は出来るのに、自分で自分の可能性を狭めてしまっている状態です。出来ない。自分はダメだ。と思ってやらないことは自分の勝手ですが、それは自分に跳ね返ってくることを知る必要があるでしょう。
自分はダメだと思ってしまうことで、仕事が続かないことや、自己否定の感情に引き込まれて自暴自棄な生活を送ってしまうのは大変勿体ないことです。周りに優れた人がいた場合にも、その人と比較し自分を卑下してしまうこともあるかもしれませんが、その人はその人で自分は自分であるので、その人の真似をする必要はないでしょう。
比較軸を自分にして、前の自分よりはこんなことが出来るようになったな。とか、こんなところはあるけれど、頑張っているな。とか自分を認めてあげるべきです。子供の時に、褒めてもらった経験や誰かに認めてもらった経験などは自分の成功体験としても残ることで、自分の自信にも繋がることです。
勉強などもその一環で、頑張った分だけ結果がついてきますので、自分に自信を持つための良い手段になります。もちろん、勉強だけではないのですが、学校で学んだことは、そのものがそのまま役に立つとは限りませんが、何らかの姿を変えて役に立つことも実際には多くあります。
知識があることで、身を助けられる場合も多いので、勉強することは自分にとっての将来に必ずプラスになるでしょう。
自己否定・自己嫌悪を続ければ心身も病む
自分を否定する感情が生まれその感情を持ち続ければ間違い無く心身に影響が出ます。特に理由がある訳でもないのに身体が辛く動かなくなってしまったり、意欲が低下したりします。それは当然の結果です。何故ならば自分を嫌いな自分と常に行動を共にしているからです。
考えても見てください、あなたにとって大嫌いな人間があなたと1日・1週間・1年間寝食を共にすることになったらどうでしょうか?自己嫌悪・自己否定を持つ生き方は常に大嫌いな人間と同居している事と一緒です。当然気分は最悪です。
稀に脳の病気でそうなっている場合もあるので注意が必要です、しかし気持ちの捉え方でそうなっている場合が殆んどであり、自分自身に対する評価や見方を変えていくことで改善できます。自分で自分の可能性を抑え込んでいるのは非常に勿体ないことです。
もし自分で、自己否定の感情が抑え切れないのであれば、聖心こころのセラピーのカウンセリングにお越し下さい、自己肯定感を堅持する考え方への変化は十分に可能な基本中の基本と捉えています。
自己否定・自己嫌悪を脱却することが急務
まずは、何故自己否定の気持ちが出てきたのかの起因を見つけます。自己否定感の強くなってきた時期はいつなのか、何をきっかけに強くなったのかを考えます。きっかけが分かったなら、今度は何故その出来事が基で自己否定感が強くなったのかを考えます。
自己否定をしがちな理由、というのはただ一つの出来事によるものだけではないからです。自己否定・自己嫌悪を持つに至った理由としては、親から十分な愛情を得られなかった(機能不全家族)からだ、という考えが一番妥当と考えます。
しかし、いじめ・家族との離別・子どもの頃の病気等の経験によっても自己否定感が強く育って行くという考えもあります。故に本人から話を聞いた上であらゆる原因を探って行くのが重要です。
何故強い自己否定感を持ってしまったのか、その原因をよく理解できたなら、自分を受け入れ、辛い気持ちを軽くしていく為の考え方や出来事の捉え方をカウンセラーと話し合って行きます。対話の中から、その考え方、認識が行える論理的思考を身に付けながら自己否定・自己嫌悪からの離脱を図ります。
初期段階においては人によって難しいかも知れませんが、必ず自己否定感・自己嫌悪は次第に減退していき、自分を労わる気持ち、優しい気持ち、理解する気持ちなどの自己肯定感が湧いてきます。
名古屋聖心こころセラピーでは「自己否定・自己嫌悪」を「自己肯定」への変換をお引き受けしております。「本当にそんなことが出来るの?」と皆さんに初回面談の時に言われます。そしていつも「そんなことばかりしておりますので大丈夫ですよ」と応えています。
そしてその後「本当にそうでしたね」と納得していただいております。辛い毎日から抜け出すことは意外とそんなに難しいことではありませんよ。
「自己否定・自己嫌悪をお持ちの方で幸せな人は見たことがありません。幸せになるためにはまず自己肯定への変換をなさねばなりません」